大江天主堂

大型バイクで 九州を一周してきた主人から
天草の大江天主堂に行った話を聴いて、
長崎の大浦天主堂・浦上天主堂も
とても素晴らしかったけど
去年断念した島々の教会。
やっぱりいきたいなぁ。。。
調べれば調べるほどに、行きたい衝動にかられます。
280年近くに及んだ苦難に満ちた禁教の時代、
潜伏しながら信仰を守り伝えていったキリシタンたち。
わたしは今世 なんちゃって仏教徒だけど
キリシタン弾圧のことになると
いてもたってもいられなくなります。
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天文18年(1549年)
イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、
日本におけるキリスト教の伝道が始まりました。
天草には永禄9年(1566年)に
志岐(苓北町)の領主がキリスト教の布教を
許したことが始まりといわれています。
しかし、江戸幕府によって禁教令が出され、
厳しい弾圧が続くなか、
寛永14年(1637年)
天草・島原の乱によって天草・島原のキリスト教信者は
ほぼ壊滅しました。
ところが、乱の中心地から離れた
天草西海岸の信者は参加することができず、
その後「潜伏キリシタン」として密かに信仰を守り続けました。
乱から170年後の文化2年(1805年)に
キリシタン発覚事件が起こり、
大江・崎津・今富・高浜の4か村から
約5,000人の人びとが「かくれキリシタン」として、
幕府から厳しく取り調べられました。
明治6年(1873年)
ようやく信教の自由が認められたころ、
布教の中心地であった長崎の
大浦天主堂の布教師・西政吉が大江を訪れ、
人びとに教えを説き、伝道者を招いて
次々と洗礼を授け、天草におけるキリスト教復活の道を切り開きました。
明治25年(1892年)
布教のため来日した
フランス人神父ルドビゴ・F・ガルニエは、
私財を投じて白亜の天主堂(現 大江天主堂)を昭和8年(1933年)に建造しました
明治40年(1907年)には
北原白秋、与謝野鉄幹、木下杢太郎、平野万里、吉井勇の5人が
天草西海岸を歩き、ガルニエ神父を訪問しました。
このときの紀行文は『五足の靴』としてまとめられています。
ガルニエ神父は25歳で来日し、
82歳で亡くなるまでの約50年間を布教活動に努め、
ついに祖国には帰らず天草に骨を埋めました。
             (熊本県HPより)
白亜の教会 大江天主堂
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聖堂正面中央には 「お告げ(受胎告知)」の絵。
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ルルドの聖母像
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クリスマスシーズンにはイルミネーションも綺麗ですね。
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